【考察】異質のコミュニケーション

昨日クライミングの練習後、5kmほどランニングをして電車で帰宅をしたのだが、車内で定期券を無くしてしまった。

困ったな、と落ち込んでいる時に、突然ホームで、
「中辻さん、何しているんですか」
と声を掛けられた。

クライマーの○君で、僕はすぐにコミュニケーションが取れず反応が遅れてしまった。別に悪いことしていてたわけではない(笑)。しかし、○君から先に「僕、競馬に行ったんですよ」と言われて、うまく気遣ってくれた。そのあと、僕は定期を無くしたので改札口を出れず、そのまま別れた。ほんの一瞬の出来事だった。

しかし、たった一言声をかけてくれたおかげで、気分がよくなった。
人とは不思議なものだな、と思った。

最近、読書を少なくしている。
20年近く毎日のように本を読みあさってきたが、やはり「活字には限界」がある。
サラリーマンが読書をして、そして、毎日のように同質のサラリーマンと会っても、あまり有益ではないことを気づいた。つまり、独りよがりになって良い知的な活動ができない。それより、世代を超えて異質な遊びをした方が、ふとした時、大きな気づきを得ることができる。クライミングは20代-30代が多い、登山は年齢は総じて高い。どちらも人間に優劣があるわけではないから、対等な関係で良い。

先日、南魚沼で農家をしている登山者の70歳のおじさんと話し合ったことがある。僕が「山でのうんこエピソードの話(笑)」をしたら爆笑していたが、おかげで農家の苦労と越後周辺の山の情報を教えて貰った。もちろん、全く話が噛み合わないことも多いから、理解できないこともある。しかし、それでも数日後に「そういうことだったのか」と気づきがあるから異質なコミュニケーションとはそういうものかもしれない。

読書は必要ない、とは思えないが、やはり、行き過ぎるのもまたよくない。
少し外に出て山に登ったり海にいったり、キャンプにいったり、絵を書いたり、音楽を奏でたり、写真を撮ったり、して、国内外の全く異なるメンバーとコミュニケーションをとることで、今までの読書経験とあい混じって、良い気分になったり、創造的な活動ができたりするのではないか、と感じるようになってきている。