コミュニケーションは「ズレ」て当たり前である。個々個人は生い立ちも価値観も違うのだから、どんなに話し合っても他人との理解にズレが生じる。発信者が「常識だろう」と思っていても、受け手は常識と思っていないことが多い。そうすると、発信者は不快になってしまい感情的になる人も多々いる。
私の主観だが、特に、日本の古き男性がその傾向が強い。だから、不快になると言語量が徐々に少なってくる。そして、その傾向で脳が鍛えられないので、さらに、言語能力が低下する。はじめは不快だから話さなかった行動が、本当に話せない人間になってしまう。
こんな状態で山に一緒に入るのはとんでもなく危険になってくる。もし、コミュニケーションを疎かにしているのなら、ソロで山登りした方が安全になってくる。「大人だから分かるだろう」というのは、コミュニケーションを単に怠っているだけである(大人とは何かを問えばいい)。やはり、良く喋ってよく笑って、そして、そうやって話し合うことを大切にしているチームは比較的安全であろう。
具体的な経験がある。
以前、冬・八ヶ岳の南沢大滝でソロでアイスクライミングをしている時、別の3人のチームが隣にいた。そのうちの一人がリードで登った後、ビレイヤが誤って「ビレイ解除」と聞こえたと思い、ビレイを解除してしまった。そうしたら、リーダーがロアダウンでロープにテンションを掛けた途端、墜落しそうになった。的確に判断したもう一人の男性がロープを持ち、手で力いっぱい握り占め、何とか、大事故にならなく済んだ(本来、リード者がロアダウンするから絶対解除をするな、と念を押していれば問題はなかった)。
こういうことは山ではよく起こる。パートナーとのコミュニケーションのズレが事前にあるのならば、それを解消しておく必要がある。しかし、これを怠って、事故が起こってから相手が悪い、など言い出す登山者も存在する。
根本的な原因は、「相手が誤解している」ということを前提にしているかどうかだ。誤解があるのだから、自分が発信したことが伝わっているかどうか「チェック」し「埋め合わせる作業」が必ず必要だ!と思うはずである。
通常のビジネスであれば経済的損失や契約履行違反は起こるが命まで取られない。結婚生活であっても、離婚や扶養上の責任は問われるが、これも命まで取られない。しかし、山登りでは命を落とす可能性が高くなるから、本来趣味レベルの登山者でも日常生活・仕事以上のコミュニケーション能力が必要なのである。
つまり、対策として
1.「他人とのズレ」は絶対存在することを前提にする
2.「他人とのズレ」に気付いても不快に思わない
3.「他人とのズレ」をチェックし、埋め合わせる作業は必ず必要
と考えることであろう。
もちろん、現実的に、山では疲れが「コミュニケーションのズレ」を助長するケースがある。コミュニケーションのズレを埋め合わせる作業は、かなり、エネルギーが必要なことだから疎かになってしまう。出発前、少しでもコミュニケーションを埋め合わせるような取り組みをしておきたいものだ。