【考察】山で「ウケる恋愛」を思い出す

登山や仕事をしている時、つい考えてしまうのが「ウケる」ことです。友人と仕事を通じて楽しめるひとつの方法に「ウケる」ことがあります。やはり「ウケている人」はどことなく人気があるものです。大阪人にとって、「面白い、中辻さん」「ウケる、中辻さん」と言われるのが、最高の褒め言葉です。ですから、学生の頃など、女性に「ウケる」など言われたものなら、褒められたと思って、ちょっぴり好意を抱くのです。単純なものです。

「ウケる~、中辻くん」と言われて始まった恋は、高校生の頃です。大阪のある駅チカにあった八百屋でアルバイトしていたとき、2歳下の方です。ただ、この頃の「ウケる」は「可笑しな行動」でした。コミュニケーション力はまだまだ身についていませんから「みかんの早食い」「段ボールの超スピード分解」など行動や見た目で可笑しさをアピールしてしまいます。ただ行き過ぎてデートで行った京都・嵐山でお猿さんにちょっかいを出してしまい、お猿さんに「ウキャー」と怒られ怪我をしてしまいました。公園の救護室で手当てを受け情けなく帰ってきたのを覚えています。また、そんなことばかりに気が取られて、彼女を気遣う余裕もありませんでした。
やはり、これでは、私にとって楽しい時間も女性にとっては魅力を感じなくなってくるものです。高校生とはいえ、男性に求めるのは「可笑しな行動」ではありませんから。

高校生の淡い恋も終わりを告げ、「ウケる」根本的な見直しを迫られました。もちろん、女性目線からすれば「そうじゃないだろう」というご指摘があるかと思いますが、大阪の泉州地域では「ウケる」ことに強迫的成長を求められます。

大学生の頃はモトクロス・バイクを乗って日本中走っていました。この頃から放浪癖が始まります。旅行に行くと思いがけない出会いがあるものです。大阪から北海道に出るには、京都の舞鶴からフェリーで小樽に向かうのが一般的でした。当時は大部屋・雑魚寝の部屋で30時間過ごしますが、男女同じです。
偶然近くにいた女性が、楽しそうに話しを掛けてくれました。北海道バイクという共通の話題ですから、話が盛り上がります。この時の「ウケる」は「共通の価値観を利用」したものです。例えば、「礼文島のユースホステルのテンションが凄く、僕は去年そこでリーダーになった」「そうそう知っている、私もリーダーになった」と面白さを共有するのです。「ウケる」には何かを共有する環境が必要だと分かった時期です。2週間後、この女性とは帰りのフェリーでも偶然一緒でした。お互い懐かしさが芽生え、その後、バイクでデートしたりしました。

そんなちょっと大人になった恋も終わりを告げます。共有の情報で「ウケる」には限界があるからです。相手に共通を求めてしまうとお互い息苦しくなるのです。またもや、「ウケる」根本的な見直しを迫られました。

就職後、東京に出てきます。
これで「大阪人」としての「ウケる」が大変な時期に突入します。面白さがなかなか通じませんし、「ウケる」ネタに極めて慎重な配慮が必要になってきます。仕事を通じて「ウケる」場合は、これまた「共有の環境を利用」しますが、それ以上に「相手の理解」と「配慮」が必要になってきます。例えば、「私、交渉能力がないの」と言われた場合、僕は「15年前交渉現場で相手に灰皿を投げられたこと」を話します。筋肉モリモリのオジサンと交渉をしている間に灰皿投げられるのです。一見怖いのですが、それを「ウケる」ように話します。そうして、「私、交渉能力がないの」という女性に「交渉とはそんなのでいいのか」と思ってもらいます。相手の成長・理解を促すような「ウケる」配慮が必要になってきます。

まぁ~結果的に他の理由もあって結婚していないので(もう結婚に全く興味がない)、本当は「ウケる」根本的な見直しが必要かもしれません。しかし、相手の成長・理解を促すような「ウケる」配慮はとんでもなく大変なのです。それが最近できず、正直「ウケる」にやや陰りが出てきています(笑)

単純に「ウケっている」ことでも、かなりの配慮が必要な時代です。よく売れているお笑い芸能人も当然極めて優れた配慮の下で行っているのでしょう、そんな大変さがよく分かります。しかし、それを自分が楽しめないと他人を「ウケさせる」こともできないのでしょう。さらに、欲を言えば、「信頼」できる相手との「ウケる」話は、より強固な関係に発展していくはずです。

まだまだ改善は続きます。