クライミング・ジムで「おぃ、あなた達、怪我するわよ」と上から目線で女性に言われたことがある。
僕は5.10c程度のリードしかできない弱いクライマーだから、ゆっくり登っていると、それを危険と思ったのかもしれない。何が怪我をする行為なのか、しっかり指摘してくれれば反省の余地があるが、それ以上、彼女は何も言わなかった。凄い女性クライマーだと思って眺めてみると、確かに、ボルダリングの動きは良い。
ところが、彼女がボルダリングからリードに変え、準備を眺めているとエイトノットは捻じれて美しくない。しかも、登攀前のビレイヤ―とのチェック事項を怠っている(僕のチームは常に電車の車掌のように「指差し確認」を強く推奨している)。まぁ、お互い慣れた仲間なのかと思っていたら、彼女がビレイヤに向かって、ロープの繰り出しが悪い、と怒っている。コミュニケーションを適切におこなっていない。
観てられないな、と不快に思ったので、その日はトレーニングを辞め帰宅した。気分が悪い状態での山登りや登攀はしないことにしている。
ビジネスの社会で有名な名著「失敗の本質」という野中先生らの本がある(随分昔に読んだ)。その中まで、まず「目的を明確にして、それを共有する」ことが如何に大切か、語っている。冒頭の女性の目的は「グレード」であることは明確だ。グレードである以上、登れないクライマーは価値がないと思うのは致し方ない。若しくは、グレードが高いと安全だと勘違いしているのかもしれない。
一方、僕がリーダの場合、目的は「潜在的な危険を察知し安全な判断をして、適切に下山し終える(多少の怪我は致し方ない)」ことである。そのために、ロープワークの研究や組織論、救助救命技術、気象学、読図等が必要になってくる。グレードは少し楽しめる程度で良いと思っている。もちろん、その「少し楽しめる」為には多くの安全判断が必要になってくるのだが。
つまり、
・グレードの大小
・安全判断の大小
いずれかを目的にしているのかの違いである。
いずれにせよ、何が評価基準なのか、チームで適切に合わせておくことは大切であろう。また、逆にリーダーを選ぶ場合、その人が「どのような目的や評価基準」かどうか総合的に見極めておく必要はある。グレードの高さを目的にする人もいるから、そういう人は、とにかく、登りたい、と思っているリーダー/仲間を観つければ良い。
次に、「制限・限界」を知ることの大切さ、である。
それが出来ず日本軍があり得ない程戦線を広げてしまった。同じように制限や限界を知らないと「撤退のチャンスを逃がして、もっともっともと山に向かう」とどうなるか分かる。 そのもっともっとを適切に判断できるためには「制限や限界」を知って、よくコミュニケーションを取っておくことである。
例えば、クライミングの登攀数を8本程度登ると大きく疲れてしまうのなら、その前で登攀を終える必要があることは容易に分かる。だから、最大8本程度というような数字でしっかり仲間を共有しておく必要がある。山登りの場合、「○○時間までに○○峠まで着かなければ撤退」なども「制限・限界」を重視した判断である。
また、「制限・限界」を共有できなければ無限の要求をされてしまう。お前たちもっと登れるだろう!と無責任なリーダーから言われることになる。ブラック企業が長時間残業を強要させるのは、働く人に対する「制限・限界」を知らないからである。
よって、チームの「制限・限界」から思考を広げていく必要がある。
最後に、自己解決・成長できるチーム作りである。
チームとして「PDCA」を回す必要があるからである。実際の山登りや登攀をすると今まで経験しなかったことが起きる。その時、一人の判断ではなく、チームで判断し、その後、チームとして学習していく必要がある。個人が学んでもチームが学ばなければ安全を担保できない。学習していくプロセスを維持するには、もちろん、意見を言える環境と長期的人間的関係は必要である。
1.自分達チームはどうなれば成功なのか? それをしっかし共有しておく必要がある。
2.自分達チームの限界や制約事項を分析し共有しておく。
3.自分達チームがお互い話し合い、問題解決できるような長期的人間的関係作り。
は、しっかり意識したいものだ。
【参考文献】
失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫) ,野中 郁次郎 (著) ら.