山の中を歩くと気分が良い。
もちろん、冬山やアルパイン系クライミングの危険性が高い場合極端に集中しているから、気分が良い、という気持ちにならないかもしれない。どちらかというとクライマーズ・ハイだから、それを気分が良い、というのは少し違う。
でも、心地の良い青空で危険の少ない場合、山の中を歩くと気分が良い。風もまた鳥の声もまた景色もまた、気分を高揚させてくれる。一歩一歩、石を避け水たまりを避け、つまずかないように歩く。そうしていることが目の前に集中して日頃のストレスを忘れる。過去に後悔したこと、自分の人生ですら思い通りにならない辛さなど、何時しか忘れて、一歩一歩と進む。
そうしているうちに、稜線に出ると突然視界が開ける。空が自分の一部となって現れる。どういうわけが「自分」と「自然」との区別がなくなる感覚を覚えてくる。一歩一歩と進んできたおかげで、素直に環境を受け入れることができる。不思議な感情だが、それは山登りをしている登山者しかわからない、ご褒美となる。
下界の負の気持ち、「収入が減った」「学歴がどうの」「あいつは仕事ができない」「俺は情けない」「家族が重い」「後悔」、俺は俺は俺は・・・・あいつはあいつはあいつは・・・・そんな感情など起こりえない自分を少し誇らしく思えてくる。
負の感情が消えてくると、前向きな感情が現れる。自分が好きなことが明確になったり、何か新しい思いつき、仲間との笑い・・・、不思議と平和な時間が一歩一歩と進んでくる。
そして・・・・・・そういう気分の良い時間もまた終わりを告げる。
山にいつまでもいられるほど人間は強くない。「いつまでも、こうでありたいものだ」と少し寂しくも思う。それでも山から離れ下界に戻らなければならない。一歩一歩、歩くごとに、空が消え森林の中へ潜り込む。いつしか、山の中は赤くなってくる。また、一歩一歩と歩く、そうして自動車の道路が見えた途端、安堵感で一杯になる。これをよく達成感という人もいるが、少し違う。危険な山から安全な人間社会に戻ってきたというのは安堵感だろう。
あれほど下界の負の気持ちに嫌気がさしていたのに、そういう社会にまた安堵感を覚える。なんともまぁ矛盾して勝手な人間だろうか。そういう矛盾を抱えつつ、山登りをしてきた人だからこそ、これらの冒険から帰還を通じて、人間の社会の良さを再認識できる。「あー、本当は自分たちの社会は良いところが多い」と感謝できる。不満をだらだらいうだけの人間ではなくなっている。
そして、今度は「下界の負の気持ち」もまたスパイスだと前向きに思わせてくれる。一歩一歩、自分の時間を前向きに進めれるような気がする。