備えや安全行動を怠る光景は、登山ではよく見かける。
この理由は、登山の先生からもよく聞いたが「自分だけは死なない」と思っているからだ。これを学問的に言えば、心理学でいう「正常性バイヤス」という認知の偏りから起こる。「正常性バイヤス」があると何か死に迫っている状況でも自分だけは安全だ、と思ってしまう。
やたらと楽観主義な人もいるが、それも「正常性バイヤス」が大きな役割を果たしている。つまり、正常性バイヤスはストレスを軽減する脳のメカニズムだ。しかし、危険な状況や災害ではこのバイヤスが命取るになる。
最近、私もこの「正常性バイヤス」に落ちいたと思うことがよくある。しかし、そのとき、無理矢理でも「最悪のシナリオ」を想像する。「この場所で滑落したら」「ここで嵐が来たら」・・・そうすれば、自分の「正常性バイヤス」が外れるようになる。聊かストレスになるのだが、それで何度か助かったケースはある。この話は僕と一緒に山に行く友人にも何度も話す。
甲斐駒の黒戸尾根の8合目付近でよく滑落事故が起こる。僕はよくロープを出して確保するのだが、多くの登山者はロープを出さずに通過する。富士山も冬になると暴風の中、支点構築ができないアイスクライミングをしている感じになるから、そんなところで転倒するとどうすることもできない。「最悪のシナリオ」を自分でイメージすると「怖くなり」それで尻尾を巻いて退散する。それを情けない、と嘆く人もいるが、僕はそうは思わない。尻尾を巻いて退散する姿はとても美しいと思っている。
平和が続くと、パワーを蓄えることができる。平和が有事へ繋がるのは、このパワーの為だ。パワーがあると人はそのパワーに守られていると感じてしまう。そして、平和が続くことで正常性バイヤスが掛かり、「最悪のシナリオ」をイメージできない。だから、災害用の備蓄もしないし準備も怠ることになる。有事の怖さもイメージできないので有事そのものの予防処置も怠る。
登山もやたらと体力をつけたり技術を付けたら、そのパワーがあると逆に「正常性バイヤス」で準備を怠る。同じことである。
これを防止するのは「最悪のシナリオ」を数個自分でイメージすることである。そうすると一旦「正常性バイヤス」が外れ少しばかりストレスフルになるが、しかし、それで改めて今置かれている世界を認識できる。そうすると自ずと必要なことを観えるはずである。
災害用の備蓄をしても何も損はしない。少しばかり日頃食べているものを増やしていればそれで賄える。お米を1袋多く買っておく等は可能である。それを「正常性バイヤス」に騙されず、しっかり備えておくこと、そういう心理があると知っておくこと、これが大切なのである。
【参考文献】(参考文献は知的活動における敬意のため記載)
広瀬 弘忠 『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』 集英社, 2004