阿弥陀・ 南陵やめたら、ご褒美が・・・

阿弥陀・ 南陵やめたら、ご褒美が・・・

友人と阿弥陀・南陵の予定が、インフルという連絡を受けて中止。
体調が悪いのに登山に来る方が正直困るので、正しい判断。 一人でいくことも考えたが、突発的にいったら怪我をしそうなので 、ゆっくり寝て、高尾山トレーニング。
いつもの神社で準備していたら、いつもいる農家のおじさんと話込 んでしまい、「おーい、ゆず、あげるよ」と取り立てのゆずを頂く。 南陵では、「ゆず」が取れないので、まぁ、よい週末とする。

山梨県・三ツ峠アイゼントレーニング

日時:2018年11月24日
場所:三ツ峠
内容:アイゼン登攀トレーニング

今日は、三ツ峠で久しぶりにアイゼン登攀の練習でした。登山道は少し雪があったものの岩場は徐々に暖かくなってきました。 中央カンテをアイゼンで登ろうと思いましたが、少し時間がかかったので、シングルピッチでの練習となりました。Nくんも回数を重ねるごとに上達するので、やはりセンスがあると思います。アイゼン登攀は丁寧の荷重を掛け、踵を水平に保ては登れます。冬の登攀ですから、手袋をつけなければ意味がありません。これがなかなか難しいです。 信州大学医学部の学生もこられて、よくコミュニケーションが取れました。 帰り、23kmも渋滞しているので、道志の国道413号も通りましたが、こちらも土砂崩れで通行止めです。しかし、迂回しないといけないのですが、迂回ルートを知っていれば、他の車がいないので快適で、恐らく高速よりも早く帰れました。 なかなかよいトレーニングとなりました。ありがとうございます。 


チャレンジ、とは結局どこから来るのか?

チャレンジ、とは結局どこから来るのか?

日頃から体力トレーニングして近場の岩場でクライミング等の練習して、それも怖いので、また、少し強度の高いトレーニングをする。
ところが、最近、僕がトレーニングだと思っていることが、他人からチャレンジだなぁ、と言ってくる人がいる。
一方、
そうではなく、年1回程度しか山登りをしていないのに、ジャンダルム(穂高周辺)に行きたがったり、北鎌へ行ったりする。
そういう人をチャレンジというのか、無謀というのかわからないが、生きて帰ってくればそれなりの収穫もあるだろう。

ビジネスで例えると、
前者が、ビジネススクールに行き、友人を見つけ、ビジネスプランを作り、簡単に小さなビジネスを試しながら、起業していくスタイル。
後者は、突発的に会社を辞め、急に転職やビジネスを興そうとするスタイル。

それぞれ特性を考えると、
前者は長期的な習得を条件とするから、真の情熱がなければならない。多くの余暇の時間を登山やクライミングに費やすだけの情熱。
後者は色々なことに時間を費やすから多様な考え方が必要だ。時に、余暇の大半を登山に使うのではなく、友人と飲みに行ったり、海に行ったり、温泉に行ったりすることも大切、と考えている。そういう人が気まぐれであるとき山に行きたい、と思うと、突発的に行くことになる。

デメリットは、
前者は学習を重視しているから、一歩前に進むことに恐怖を感じる。それを乗り越えればいいのだが、なかなか難しい。
後者は、死んでしまうリスクが高い。それですべての学びは消え去る。

つまり、チャレンジ、とは結局どこから来るのか?

前者の原動力は何と言っても学習欲だ。だから、山登りをしてわからないことに出会えば、すごく楽しい。別に、高尾山でも何か新しいことに気づけば、それで十分楽しい。
後者の原動力は体験欲だ。だから、どこに行ったのかが大切で難しいところに行きたがる。高尾山よりジャンダルムにはよい経験があると思っているから。

上級救命再講習2018

今日は、おにぎりを作って、講習会参加。立川も綺麗になった。昭和記念公園近くをおにぎりを食べながらが歩く。旨いのでニコニコ。純粋に気分がいい。

ふと、横を見ると、鮮やかなお店でセレブ女子が、ビールとワインを飲みながらパスタでランチ。

これを格差と呼ばずしていつ呼ぶのだろうか、と笑った。同じ炭水化物を食べることにおカネをかける必要もない、から、まぁ、山登りの影響もいい感じに生活態度に現れている。

東京・高尾山の笑いと優しさ

冬山に向けて、
25kg以上の重りを持って北高尾稜線×3回、北丹沢×3回を自分に課している。
だから、10月/11月はトレーニングとなってしまうのだが、それは冬に求められる体が異なるから致し方ない。少し脂肪もつける。

そうしていると、よく他の登山者に声を掛けられる。

倒木はありますか?
陣馬高原はこちらですか?

アドバイスするのだが、あまりにも気になる場合、下山まで気に掛ける場合もある。

堂所山で、僕が軽い捻挫をしたので、テーピングで手当てしていると、
70代後半の女性が単独で来て、

高齢:「あー疲れた」

中:「どうされましたか?」

高齢:「ここから陣馬高原下へ抜けれると聞きましたが、疲れたので下山したいのです」

中:「え、ありますけど、それは登山道ではなく、しかも、少し急斜面のところがあります」

中:「疲れたときこそ、普通の登山道で下山すべきです。また、その尾根は北側なのであっという間に暗くなります」

ところが、
「リュックを観ると古い布のリュック」、
「70代後半女性が、疲れたとはいえ、北稜線を一人で登ってくる」
ことにを考えると、登山の大先輩であることに気づく。

致し方ないので、少し距離を開けるが、気にかけて普通の登山道で下山することに。明王峠で、山小屋のおじさんに重りの水をプレゼントしで解放。下山終了点の与瀬神社で、この女性が下山できたことを確認して、そのまま相模湖駅→高尾を戻ってくる。

電車にいないと思っていたが、
JR高尾駅→京王線へ向かいときに、この女性に「気遣って頂き、どうもありがとうございます」と声を掛けられる。

年輩の方にお礼を言われるのも恐縮するのだが、まぁ、僕もいずれ70代後半になって辛いときに声を掛けて貰えるよう、貯金と思っている。

これで、本日のお仕事は終わり(笑)、となった。

猛暑/ゲリラ雨の推測とスピード

今年の猛暑/ゲリラ雨で、山登りの日数は減った。
前日の気象も読みにくい、一日前でも天気予測が難しい。現地に行けば観天望気でかなりのことは把握できるが、最近可笑しいと思って緊急下山することが多くなった。

そう考えると、高速移動に価値があることに気づいて、トレランをするようになったのもその怖さからだ。先週も北丹沢に行ったが、雲がどんどん稜線を超え上空に寒気が入り込んだ雲を見た。普通の人なら、天気がいい雲海のように思えるが、気象判断できる登山者なら湿度も高いからゲリラになることは推測できる。

そう思ったら速く下山した方がいい。のんびりラーメンを食べている若者に警告をだし急速に走り一気に下山する。それでも、間に合わず、雨が降り出してくる。カミナリもなりそうだ、豪雨になれば土砂崩れも考えられる、雨で落石も増える。また、雨が降ると良く蛇に出会うが、今回もそうだ。その蛇(アオダイショウと思うが、しかし大きさからマムシにも見える)を飛び越えて進む。

車についたときと同時に土砂降りになり、川が増水していく光景を見ると丹沢の山登りはとんでもなく怖いと感じる。下山時の自分の体力上のスピードは危険だが、しかし、しっかりトレーニングを積んで早めることができるならそうした方がいい。

ここ数年で、山登りの安全性も少し変わりつつある。その変化に対応するために、教科書的/杓子定規的考えから離れてもいいかもしれない。

単に経験を積んでも意味がない

単に経験を積んでも意味がない。

なんでも山登りに例えてしまって恐縮だが、
山登りの歩き方の基本は、ゆっくり登る歩くことである。
数値的に言えば、心拍数110前後。

それ以上早く歩くと、
有酸素→無酸素運動になってしまい、グリコースを急速に消費する。そうすると疲労が溜り、筋肉/神経共々連動しにくくなる。
登山は下山をしないといけないから、登りに疲労を溜めるような歩き方をしていると下山時に困憊する。
事故を起こす人は、そうやって筋肉/神経共々連動性の欠如から起こることが大半である。連動性が悪いから、足首を捩じったり、転倒したり、する。

ところが、
ここで大きな心理的問題がある。

1.犬や猫のように、速く歩くことが優れている、
という心理
2.概ね登山開始時に登りだから、疲れておらずつ
い速く歩いてしまう心理

遅いやつを馬鹿にして、自分の感情のままに行動している人は、疲労が溜り、下山時に事故を起こす確率が高まる。しかも、心拍数も上がるから汗もかく。水分も必要で、荷物も多くなる。しかし、そういう知識がない人は、改善しようとしない。山に行くとまた遅いことが「悪」となって何度も繰り返す。数年前、友人に何度も指摘した。以前、下山時に骨折をして救助されたことは単なる偶然だと思っている。いずれ、また事故を起こすと思うから、もう彼に誘われても山に一緒にいかないようにしている。

一方、
トレーニングで自分が比較的安全だと思えるコースでは、少し試すといい。トレラン等で心拍数180位まで上げ、登る。2時間程度で標高差1000メートル位まで上がると足が笑い出す。それでも走ると、急速食べることもできなくなるほど疲労が溜まる。一度そうなると、食べ物を受けつけなくなる。食べ物を分解することにエネルギーを使う余裕がなくなるからである。これが悪循環の始まりで、下山時フラフラになってくる。冬山や少し難易度の高い本番であれば、こんなことになれば怖くて仕方がない。

もちろん、トレーニングでは心拍数180位まで上げたり/重たい荷物を持ったりして、体力面を向上させることは必要かもしれないが、しかし、本番ではそうならないようにコントロールする必要がある。

安全な範囲で経験をする → 過去他人が発見した知識を研究する → 自分が陥っている隠れた心理・価値観を見出す → 安全の範囲で自分で試してみる → より高い経験する。

ではないかと思っている。PDCAは「経験学習サイクル」という意味では良い表現だが、やはり、Pが最近気に入らない。Pで終わることが多いから。

軽くランニング

軽くランニング。この暑さで人影が少なく快適。暑いが風が強く心地良い。山は人でうんざりするが、今日の河川敷は贅沢だ。ゆっくりと最寄駅まで。

東京・高尾山の笑いと優しさ

今日も不思議だった。

友人と今週は富士山の予定だったが、この天気なら冬山経験がなければ低体温症になってしまうので中止。多分、風が強かったと思う。

そんなわけで、本と映画でゆっくりし、今日、日曜日はやや雨の中、高尾北尾根。

いつものように30キロ位の重さにして、歩く。2時間だった頃、髪の毛をアップにした巫女さん服の人に出逢う。明らかに、綿の服なので、雨では大変だったと思い大丈夫かな、と良く見ると、

おじ様だった。

ま、ダイバーシティだから、いいのだが、その巫女さんを過ぎて、一瞬、何かの幽霊ではないか、と思って振り返って見ると、もう僕のうしろにはいなかった。

歩きながら、思う。
確かに、山の中では不思議なことを経験する。疲れによる自分の幻想だと思うが、しかし、とうとう、おじ様の巫女さんを幻想するようになってしまったのか? そうなら、僕の想像力はかなりのどころまできている。

それとも、僕が現世から、巫女の世界に迷い込んだのか?そうなら、下山しても抜け出せぬかもしれない。

どうなることやら。

 

ヤバイ、ワイシャツがドロドロ

ヤバイ、ワイシャツがドロドロになってしまった。

今、町田で、雨に濡れた路肩でダイナミックに足を滑らせ転倒してしまった。

それなら尻餅をついて終わりだが、何を勘違いしたのか、身体が覚えているのか、わからんが、直ちに仰向けからうつ伏せなって、滑落停止の初期姿勢をとってしまった。

おかげさまで、滑落はしなかったが、ワイシャツが背中から胸までドロドロになってしまった。

町田から八王子までドロドロで電車に乗る羽目に。