【考察】「物語の求心力」と「命の重さ」から登山の趣旨を考える

皆さんは、もちろん、映画を見たことがあると思います。僕がいいな、と思った邦画は「今、会いにゆきます」という竹内結子主演のものです。なんというか残された親子の不甲斐なさに少しばかり憐れみと一時の楽しさへの拘りがとても印象的でした。そして、そこで起こる出来事によって、残された親子が成長していくのです。なかなか感動的な映画であったと心に残っています。

それでは、なぜ、人は感動するのでしょうか。
そこで、人が感動するストーリに「形(構成)」があるのか、と調べて考えていました。
例えば、桃太郎物語は以下の構成になっています。

①強い決心・旅立ち
②困難への挑戦
③帰還

強い決心のもと、安定な社会から勇気をもって旅立ちます。そうしたら、仲間に出会います。次に、仲間と協力して鬼退治をする。最後に必ず、自分の故郷である村に帰還します。

逆に、桃太郎が鬼退治に行って殺された場合は如何でしょうか?
「残念ならが、桃太郎一派は全滅してしまいました(完)」
となっていたなら童話として人々の心に残っていなかったでしょう。これは帰還していないからです。

もちろん、ロード・オブ・ザ・リングもハリーポッターも冒頭の今、会いにゆきますも同じ構成です。

①強い決心・旅立ち
②困難への挑戦
③帰還

が人々の心に残るのです。

それでは、この構成の目的は何でしょうか?
よく考えてみると、安定な自分の村から不安定な世界へ旅立ち、そして、困難に遭い、逃げずに戦い、そして、帰還することで、
・「人間的成長」
・「今いる安定した社会の良さ/悪さを認識できる」
ということになるようです。

つまり、映画に対しても、他人に対しても、自分に対しても、これらの目的が人間を感動させていくのです。

前置きが長くなりました。
山登りは「困難への挑戦」だという人がいます。無法地帯に近い海外旅行へ行く人もある意味同じです。しかし、「困難への挑戦」で死んでしまっては、物語は成立しません。正直、それは無意味です。その証拠にGoogleでググってみてください。一般者は何とも辛い言葉を掛けているのかわかります。

「自業自得だ」
「冬山登山は自殺行為だ」

など、本当に登山者として目に余る言葉が多いのです。しかし、登山をしない人から見れば、そう感じても致し方ないと思います。
一方、登山系映画で感動したシーンの登山者に向かって「冬山登山をするな」など思う人はいないのです。そういう登山系映画はきちんとした「物語」になっていますから、感動します。登山をしない人からも「感動した」と感じることでしょう。

人は「物語」を求めるように組み込まれているのです。
よって、「困難への挑戦」したら、必ず、這ってでも「帰還」しなければなりません。山で死んではならないのです。そうしないと「今いる安定した社会の良さ/悪さを認識」することもできません。困難へ挑戦して初めて分かった「日常の有難さ」も「日常の社会システム」も、フィードバックできず、ただ意味もなく死ぬのです。

山で死んでもいいという人がいますが、それは無意味です。本当にそういう状況に追い込まれれば助かろうとします。想像力のない無責任な発言です。

人よりも危険なことに挑戦できることは恵まれています。その経験をしっかり分析をする。そして、そこで得られた見地を社会に伝えていくために「帰還」すること、それが人間の宿命であり、それが本当に意味の「登山の趣旨」だと思うのです。

 

 

【参考文献】(参考文献は知的活動における敬意のため記載)
物語の命題 6つのテーマでつくるストーリー講座, 大塚 英志 (著) ,2010

【考察】新しい道具の価値を研究

先日、フロッグ(frog)という道具をランナーとして使ってみました。
場所はY氏と共に行った「伊豆・城山・南壁」です。なんでも試す・研究することがすきですから。

クライミングでは、始めの一歩で墜落すると必ずグランドフォールとなり、命が無くなるケースは少ないものの大怪我をします。よって、このようなランナーがあると、何か長い棒(ストックで良い)とテーピングのようなテープがあれば、、ボルトに掛けることができ、少しばかり安全になります。

まぁ、フリークライマー達には「インチキだ」という人がいるみたいですが、私は単なる遊びでやっていますので、安全を優先にしています。

なかなか、使いやすくで利用価値があります。

【考察】ソロ登山と未婚率の関係はあるのか

日本社会の縮図を雪山登山に描写してみる。

先週、爺ヶ岳・東尾根で出会ったチームは概ね15組程度。そのうち、僕を含めて5組位単独(女性1名を含む)だったと思われる。単独は危険だ、というが単独で入山している人で「死にそうな疲れ顔」をしている人は居ない、それだけ経験があるのかもしれない。

一方、5名のチームの後部にいる人達は「死にそうな疲れ顔」だったことを覚えている。チームで動くと自分のペースを崩され、水を飲むタイミングを規制され、我慢することになる。そうすると、結構な確率で「死にそうな疲れ顔」をしている光景を見る。

単独は危険か、それとも、無責任リーダーの下のチームが危険か、わからない。

いずれにせよ、
そして、この5組/15組という単独比率は、40歳代前後の未婚率とほぼ等しいことに気付いた。単独には自由に動けるメリットがあるが、トラブルが一たび起これば解決にあたる施策が制限される。そうすると、トラブルが連鎖的に起こり、取り返しがつかない事態が起こる。つまり、トラブルにあたる施策のバリエーションが少ないのが単独の欠点である。

但し、単独の場合は自分のペースと自分の技術で行っているので、トラブルが起こる確率が低くなる。例えば、単純に考えて、5人チームだと、単独に比べて5倍の身体的トラブル、滑落トラブルが起こる可能性があるということになる。

結果、
単独は、トラブルが起こる可能性が低くなるが、しかし、一たびトラブルが起これば、解決策に限りがあり、死亡率は格段に高くなる。
一方、チームで動くとトラブルの発生確率は極端に上がるが、しかし、トラブルに対する対策にバリエーションがあるから、死亡率が下がる。誰かいれば救助依頼もできる。

これは結婚という意味においても同じで、独身の場合、トラブルに遭遇する率が低くなる。例えば、妻が借金をするとか、子供が交通事故に遭うとか、兄弟が居候するとか、である。そうすると事前にリスクヘッジする必要もなく、ストレスもかなり軽減される。しかし、一方、心筋梗塞等で動けなくなってもどうすることもできない、失業すれば、自信喪失にもなる、励ましてくれる人もない。そうすれば、死亡率が格段に上がる。

そして、この選択をする率は概ね3割ということは、面白い事実である。そういう特長を理解して自分の人生を進んでいるのであれば「孤独死」もまた自らの選択となる。アイスクライミングや沢登の単独での事故は悲惨で、少しばかりの骨折でも救助を呼べない以上、徐々に迫る死を苦しみながら眺めることになる。

一人という生き方が社会的問題、というマスコミの指摘は違和感がある。自ら選択しているのであれば、それでいい。家族を含めて他人のトラブルにあたるストレスが少ない方が精神的にも安定する。しかし、一方で、差し迫る死を直視しておく必要は独身にはある。真の意味で単独を享受できること、それは「ソロ」者がしっかり考えておかなければならない。

【考察】その道具の特長を理解している?

山登りは、どうしても道具が必要です。不足している場合、高価な場合が多いですから徐々に増やしていくのです。でも、メンテナンスも結構大変です。冬用のオーバーズボンはアイゼンで穴だらけで、これを自分で縫います(アイゼンワークが悪いともいえる)。ジャケットは、ゴアテックスの効果を維持させるために、乾燥機で強めに温めてから防水スプレーを塗ります。ジャケットに防水スプレーを塗らない方が良い(滑落時滑りやすくなると言われている)、という人もいますが、それより、みぞれの対策が優先だと思っています。

アイスアックスを研ぐ、テントの補強などなど、キリがありませんが、それでも、登山中で問題を起こすことに比べれば、事前にチェック・修理する方が、人間らしい判断だと思います。定期的にチェックリスト(登山計画書の持ち物チェックと同じ)を作ってメンテナンスをしています。

冬に出した登山靴のリソールが、昨日帰ってきました。
スカルパの3シーズンの靴ですが6年間使いました。春夏秋の縦走や岩稜はこの靴です。足首はしっかり守ってくれ、何度か怪我を防いでくれた大切な道具です。登山靴は4つ持っています。それぞれシーズン・利用シーンに合わせて使っています。

道具を自分で直せるものは自分で直したいものです。お金の節約という意味もありますが、その道具の特長が理解できます。理解できると利用面に応用も可能です。万が一、トラブルが起こっても対策が講じれます。つまり「メンテナスができる、ということは、その道具の特長を理解している」ということです。もちろん、登山靴のリソールのようになかなか自分で直せないものありますから、致し方ない側面もあります。

自動車と同じく、早め早めにメンテナンスをすることで道具のことを理解し、十二分に準備をして山に入りたいと思います。

【考察】徳とは何か

登山をしていると、名前がわからないキレイな花を見かけます。誰にも誉められるわけでもないのに、懸命に日々新た、にと。

これを万物の徳と言います。

そして、花を咲かせ種を飛ばすような徳を維持する行動を道と言います。

あわせて、これを道徳と呼びます。

山が教えてくれました。

【考察】手を抜かないストレス

登山はストレス解消になっているかな。確かに自然に触れると気分が良い。しかし、入山前はえらく神経質になる。計画段階で何度も夢で事故を起こしている。だから、毎週雪山にはいけないかな。道具のチェックや情報分析、トレーニングや体調管理の時間が必要なんだ。今週は、山にいかず、ソロのロープの繰り出しの研究をしてみる。後、道具の手入れ。

そうやって神経質になる。ストレスになる。でも、下山時のストレスのリリース感は好きだ。この感覚はやった人しかわからないとおもう。

【考察】若い時に

若い時に、30代まで必死に勉強することに重きをおこうと思った。おかげさまで多くの友人に出会った。

30代必死に勉強したおかげで四十代は仕事に余裕を持てるようになったので、重きを健康管理に時間をかけるようになった。おかげさまで腰痛以外の健康診断は20代より良い。

おかげさま、おかげさま、おかげさまです。

【考察】失敗から学べるようにしておかなければならない

登山やクライミングをしてよく思うのは、「失敗から学べるようにしておかなければならない」ということ。

しかし、これ、当たり前ではなく、結構難しい。発生確率が低い状況だと人はつい傲慢になる。

山の中では「ここで落ちれば死」という場合が多い。そういう場所で過去事故が起こってきたから、地元の人達・ガイド協会の人達が積極的に鎖場整備したり、確保用のボルトを打ったりされている。しかし、それでも「俺は高いところは慣れている」と言わんばかりにいい加減に通過していく人達がいる。

先日もそうだ、裏妙義山・丁須の頭を確保なしで登っているカップルがいたが、それで落ちれば即、死である。

そして、どんなに確率が低い事故でも、回数を重ねていけば、必然的に事故は起こる。結果、その事故が起これば、もう反省する機会を失うのである。

1回でも起きれば、それで、学ぶ機会を失う構図を作ってはならない。

そのため、たとえ、廻りからどう見られても「0」の状況を作らないように確保し、回り道を取り、そして、事故が起きても怪我程度で済むようにしておく。そうすれば、大きな反省できる。

これはビジネスも同じで「リスクを取れ」ということを勘違いして、「ゼロ」になる状況を作ってはならない。何か失敗しても「ここまでは大丈夫」という状況を積極的に作り出さなければならない。

【考察】登山から、コミュニケーション能力を考える

僕は自分でいうのもなんだか、コミュニケーション能力は極めて低い。たぶん、研究肌/職人肌であるから、何事も自分の内面に閉じて考えているからだろうと思う。それでも、社会人/組織人であるから、この弱みを改善したくて「有名会社のコーチング研修受講」や「演劇にチャレンジ」と、向上させようと思ってきた。それでも、自分のコミュニケーション能力は高まったとは思えず、まぁ~「才能なし」と判断するようになってきている。

ただ、最近思えることを少し述べておこう。

1.ボルダリングのコミュニケーション能力

クライミングの一つの種類に「ボルダリング」というと遊びがある。これは何も使わず一人で遊べるから最近若者を中心に盛んである。室内ジムに行くと世の中にこんなに若者がいたのか、と明るくなる。そして、この遊びは、チームで遊びをするわけではないので「個人の身体能力」だけあればよい。

結果、コミュニケーションのレベルとしてはジム内にいる人達との「心地の良い関係づくり」になる。つまり、お互い笑いあったり、共感したり、雑談したり、というレベルである。

そうであると年齢を超えた楽しさがある。学生のノリで十分ボルダリングは楽しい。社会人/学生/小学生が同じ土俵で話ができ、共通の話題で盛り上がる。他人の小学生とそんな話題で盛り上がることは40代の社会人では不可能だが、ボルダリングを通じて、それができるのは、必要なコミュニケーション能力が「心地の良い関係づくり」だからである。

2.リードクライミングのコミュニケーション能力

クライミングの違う種類に「リードクライミング」という遊びがある。一般の人がイメージしているのはこのリードクライミングだが、数名がローブを繋ぎ合うのでコミュニケーションは複雑になる。もちろん、「心地の良い関係づくり」は大切だが、それ以上に「安全」という目的を共有してリーダーは他のメンバーに指示を出すことがある。
その時、リーダーの必要なコミュニケーション能力は「相手の立場でコミュニケーションを取る」ことである。お互い険悪にならない程度で言うべきことを上手に伝えたりするには、相手の立場を想像する必要がある。
さらに、他のメンバーにやってもらうことがある。例えば、ロープを持ってきてほしい、レンタカーを借りてほしい、地形図を作ってきてほしい、とチームで動くための役割が発生する。それらをうまくコミュニケーションを取らなければリーダー失格となり、安全性は極端に悪くなる。

3.雪山登山のコミュニケーション能力

雪山登山になると、お互い「ディスカッション」をして、山で起こる困難にチャレンジしていかなければならない。必ずと言ってほど問題が起こる。道に迷う、吹雪にあう、テントが壊れる、多くのことが起こる。それらはリーダー一人で解決できるレベルではなく、チーム力で創造性を発揮しながら、解決するコミュニケーションが求められる。
そうすると自ずとして、チーム力が発揮できるメンバーに限られてくる。例えば、年齢が近い、組織の上長レベルの経験がある等が必要となってくる。お互い惹かれあうところもあるから、なかなかメンバー選別は難しいが、「チーム力を構築できるコミュニケーション能力」がメンバー全員に必要になってくる。

■結論
このように、コミュニケーション能力の違いが出てくるのが一般的で、それに合わせてどう対応していくのか、必要なことだろうと思う。そして、遊びでも仕事でも家族でも、それぞれの状況が上記の3つの分類をしたように、我々社会人もそれぞれの状況をうまく分類することから始めると、それだけでさまざまな気づきを得て、コミュニケーション力のさらなる向上に結びつくことになると思っている。