山梨県・三つ峠(登攀トレーニング)

日時 :2017年04月30日
目的 :確保技術の向上及び登攀トレーニング
山域 :山梨県・三つ峠
メンバ:中辻(ソロ)

GWの前半は三つ峠で登攀トレーニングをしてきました。天候もよく富士山も綺麗でした。目的はロープワークの復習や確保技術の向上です。
計画では表からアプローチしようと思いましたが、GW後半の縦走に向けての体力温存で裏からアプローチをしました。朝6時に裏登山口を出発、8時頃に一般ルート前に到着。準備後、一般ルートから登り、一般ルート右にFIXロープを張りました。その後、登攀の練習をしようとアッセンダを付け、練習開始です。

しかし、5.9(たぶん、日山協ルート?)が登れず苦戦し剥きになって2時間程度チャレンジしてしまう。偶然居合わせたE先生に少しムーブを教えて貰い、何とかギリギリで登れそうだったが、すでに手がパンパンになので退散です。これで呆気なく体力切れ終了となってしまった(笑)

ところが、ロープ回収が大変で、久しぶりに何度も打ち込んでいたので手の疲労が半端なく、簡単なルートですら登れなくなってしまう。これはちょっと苦しくなったので自己脱出で登りかえすという情けないロープ回収になってしまった。

悪かった点
1.確保システムをアッセンダーに頼ったのはあまりよくないな、と感じた。バックアップにタイブロック等を付けておくことが必要であろうと感じました。 これは厳格に反省です。
2.クライミングは、つい剥きになってしまうので注意が必要です。エネルギーを使いすぎてロープ回収や下山時に事故が誘発されることを考えると、山では剥きになってはいけないと思いました。ジムトレは剥きになってもいいと思うが・・・。

感想:
城山のときもそうだったが、相変わらずクライミングの能力が落ちています。腰痛は言い訳にしたくないので「これは練習不足だな」と嘆きながら帰ってきた練習でした(笑)

【考察】人は、なぜ備えや安全行動をとらないのか

 

備えや安全行動を怠る光景は、登山ではよく見かける。
この理由は、登山の先生からもよく聞いたが「自分だけは死なない」と思っているからだ。これを学問的に言えば、心理学でいう「正常性バイヤス」という認知の偏りから起こる。「正常性バイヤス」があると何か死に迫っている状況でも自分だけは安全だ、と思ってしまう。

やたらと楽観主義な人もいるが、それも「正常性バイヤス」が大きな役割を果たしている。つまり、正常性バイヤスはストレスを軽減する脳のメカニズムだ。しかし、危険な状況や災害ではこのバイヤスが命取るになる。

最近、私もこの「正常性バイヤス」に落ちいたと思うことがよくある。しかし、そのとき、無理矢理でも「最悪のシナリオ」を想像する。「この場所で滑落したら」「ここで嵐が来たら」・・・そうすれば、自分の「正常性バイヤス」が外れるようになる。聊かストレスになるのだが、それで何度か助かったケースはある。この話は僕と一緒に山に行く友人にも何度も話す。

甲斐駒の黒戸尾根の8合目付近でよく滑落事故が起こる。僕はよくロープを出して確保するのだが、多くの登山者はロープを出さずに通過する。富士山も冬になると暴風の中、支点構築ができないアイスクライミングをしている感じになるから、そんなところで転倒するとどうすることもできない。「最悪のシナリオ」を自分でイメージすると「怖くなり」それで尻尾を巻いて退散する。それを情けない、と嘆く人もいるが、僕はそうは思わない。尻尾を巻いて退散する姿はとても美しいと思っている。

平和が続くと、パワーを蓄えることができる。平和が有事へ繋がるのは、このパワーの為だ。パワーがあると人はそのパワーに守られていると感じてしまう。そして、平和が続くことで正常性バイヤスが掛かり、「最悪のシナリオ」をイメージできない。だから、災害用の備蓄もしないし準備も怠ることになる。有事の怖さもイメージできないので有事そのものの予防処置も怠る。

登山もやたらと体力をつけたり技術を付けたら、そのパワーがあると逆に「正常性バイヤス」で準備を怠る。同じことである。

これを防止するのは「最悪のシナリオ」を数個自分でイメージすることである。そうすると一旦「正常性バイヤス」が外れ少しばかりストレスフルになるが、しかし、それで改めて今置かれている世界を認識できる。そうすると自ずと必要なことを観えるはずである。

災害用の備蓄をしても何も損はしない。少しばかり日頃食べているものを増やしていればそれで賄える。お米を1袋多く買っておく等は可能である。それを「正常性バイヤス」に騙されず、しっかり備えておくこと、そういう心理があると知っておくこと、これが大切なのである。

 

【参考文献】(参考文献は知的活動における敬意のため記載)
広瀬 弘忠 『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』 集英社, 2004

【考察】「物語の求心力」と「命の重さ」から登山の趣旨を考える

皆さんは、もちろん、映画を見たことがあると思います。僕がいいな、と思った邦画は「今、会いにゆきます」という竹内結子主演のものです。なんというか残された親子の不甲斐なさに少しばかり憐れみと一時の楽しさへの拘りがとても印象的でした。そして、そこで起こる出来事によって、残された親子が成長していくのです。なかなか感動的な映画であったと心に残っています。

それでは、なぜ、人は感動するのでしょうか。
そこで、人が感動するストーリに「形(構成)」があるのか、と調べて考えていました。
例えば、桃太郎物語は以下の構成になっています。

①強い決心・旅立ち
②困難への挑戦
③帰還

強い決心のもと、安定な社会から勇気をもって旅立ちます。そうしたら、仲間に出会います。次に、仲間と協力して鬼退治をする。最後に必ず、自分の故郷である村に帰還します。

逆に、桃太郎が鬼退治に行って殺された場合は如何でしょうか?
「残念ならが、桃太郎一派は全滅してしまいました(完)」
となっていたなら童話として人々の心に残っていなかったでしょう。これは帰還していないからです。

もちろん、ロード・オブ・ザ・リングもハリーポッターも冒頭の今、会いにゆきますも同じ構成です。

①強い決心・旅立ち
②困難への挑戦
③帰還

が人々の心に残るのです。

それでは、この構成の目的は何でしょうか?
よく考えてみると、安定な自分の村から不安定な世界へ旅立ち、そして、困難に遭い、逃げずに戦い、そして、帰還することで、
・「人間的成長」
・「今いる安定した社会の良さ/悪さを認識できる」
ということになるようです。

つまり、映画に対しても、他人に対しても、自分に対しても、これらの目的が人間を感動させていくのです。

前置きが長くなりました。
山登りは「困難への挑戦」だという人がいます。無法地帯に近い海外旅行へ行く人もある意味同じです。しかし、「困難への挑戦」で死んでしまっては、物語は成立しません。正直、それは無意味です。その証拠にGoogleでググってみてください。一般者は何とも辛い言葉を掛けているのかわかります。

「自業自得だ」
「冬山登山は自殺行為だ」

など、本当に登山者として目に余る言葉が多いのです。しかし、登山をしない人から見れば、そう感じても致し方ないと思います。
一方、登山系映画で感動したシーンの登山者に向かって「冬山登山をするな」など思う人はいないのです。そういう登山系映画はきちんとした「物語」になっていますから、感動します。登山をしない人からも「感動した」と感じることでしょう。

人は「物語」を求めるように組み込まれているのです。
よって、「困難への挑戦」したら、必ず、這ってでも「帰還」しなければなりません。山で死んではならないのです。そうしないと「今いる安定した社会の良さ/悪さを認識」することもできません。困難へ挑戦して初めて分かった「日常の有難さ」も「日常の社会システム」も、フィードバックできず、ただ意味もなく死ぬのです。

山で死んでもいいという人がいますが、それは無意味です。本当にそういう状況に追い込まれれば助かろうとします。想像力のない無責任な発言です。

人よりも危険なことに挑戦できることは恵まれています。その経験をしっかり分析をする。そして、そこで得られた見地を社会に伝えていくために「帰還」すること、それが人間の宿命であり、それが本当に意味の「登山の趣旨」だと思うのです。

 

 

【参考文献】(参考文献は知的活動における敬意のため記載)
物語の命題 6つのテーマでつくるストーリー講座, 大塚 英志 (著) ,2010

【考察】新しい道具の価値を研究

先日、フロッグ(frog)という道具をランナーとして使ってみました。
場所はY氏と共に行った「伊豆・城山・南壁」です。なんでも試す・研究することがすきですから。

クライミングでは、始めの一歩で墜落すると必ずグランドフォールとなり、命が無くなるケースは少ないものの大怪我をします。よって、このようなランナーがあると、何か長い棒(ストックで良い)とテーピングのようなテープがあれば、、ボルトに掛けることができ、少しばかり安全になります。

まぁ、フリークライマー達には「インチキだ」という人がいるみたいですが、私は単なる遊びでやっていますので、安全を優先にしています。

なかなか、使いやすくで利用価値があります。

【考察】ソロ登山と未婚率の関係はあるのか

日本社会の縮図を雪山登山に描写してみる。

先週、爺ヶ岳・東尾根で出会ったチームは概ね15組程度。そのうち、僕を含めて5組位単独(女性1名を含む)だったと思われる。単独は危険だ、というが単独で入山している人で「死にそうな疲れ顔」をしている人は居ない、それだけ経験があるのかもしれない。

一方、5名のチームの後部にいる人達は「死にそうな疲れ顔」だったことを覚えている。チームで動くと自分のペースを崩され、水を飲むタイミングを規制され、我慢することになる。そうすると、結構な確率で「死にそうな疲れ顔」をしている光景を見る。

単独は危険か、それとも、無責任リーダーの下のチームが危険か、わからない。

いずれにせよ、
そして、この5組/15組という単独比率は、40歳代前後の未婚率とほぼ等しいことに気付いた。単独には自由に動けるメリットがあるが、トラブルが一たび起これば解決にあたる施策が制限される。そうすると、トラブルが連鎖的に起こり、取り返しがつかない事態が起こる。つまり、トラブルにあたる施策のバリエーションが少ないのが単独の欠点である。

但し、単独の場合は自分のペースと自分の技術で行っているので、トラブルが起こる確率が低くなる。例えば、単純に考えて、5人チームだと、単独に比べて5倍の身体的トラブル、滑落トラブルが起こる可能性があるということになる。

結果、
単独は、トラブルが起こる可能性が低くなるが、しかし、一たびトラブルが起これば、解決策に限りがあり、死亡率は格段に高くなる。
一方、チームで動くとトラブルの発生確率は極端に上がるが、しかし、トラブルに対する対策にバリエーションがあるから、死亡率が下がる。誰かいれば救助依頼もできる。

これは結婚という意味においても同じで、独身の場合、トラブルに遭遇する率が低くなる。例えば、妻が借金をするとか、子供が交通事故に遭うとか、兄弟が居候するとか、である。そうすると事前にリスクヘッジする必要もなく、ストレスもかなり軽減される。しかし、一方、心筋梗塞等で動けなくなってもどうすることもできない、失業すれば、自信喪失にもなる、励ましてくれる人もない。そうすれば、死亡率が格段に上がる。

そして、この選択をする率は概ね3割ということは、面白い事実である。そういう特長を理解して自分の人生を進んでいるのであれば「孤独死」もまた自らの選択となる。アイスクライミングや沢登の単独での事故は悲惨で、少しばかりの骨折でも救助を呼べない以上、徐々に迫る死を苦しみながら眺めることになる。

一人という生き方が社会的問題、というマスコミの指摘は違和感がある。自ら選択しているのであれば、それでいい。家族を含めて他人のトラブルにあたるストレスが少ない方が精神的にも安定する。しかし、一方で、差し迫る死を直視しておく必要は独身にはある。真の意味で単独を享受できること、それは「ソロ」者がしっかり考えておかなければならない。

【考察】その道具の特長を理解している?

山登りは、どうしても道具が必要です。不足している場合、高価な場合が多いですから徐々に増やしていくのです。でも、メンテナンスも結構大変です。冬用のオーバーズボンはアイゼンで穴だらけで、これを自分で縫います(アイゼンワークが悪いともいえる)。ジャケットは、ゴアテックスの効果を維持させるために、乾燥機で強めに温めてから防水スプレーを塗ります。ジャケットに防水スプレーを塗らない方が良い(滑落時滑りやすくなると言われている)、という人もいますが、それより、みぞれの対策が優先だと思っています。

アイスアックスを研ぐ、テントの補強などなど、キリがありませんが、それでも、登山中で問題を起こすことに比べれば、事前にチェック・修理する方が、人間らしい判断だと思います。定期的にチェックリスト(登山計画書の持ち物チェックと同じ)を作ってメンテナンスをしています。

冬に出した登山靴のリソールが、昨日帰ってきました。
スカルパの3シーズンの靴ですが6年間使いました。春夏秋の縦走や岩稜はこの靴です。足首はしっかり守ってくれ、何度か怪我を防いでくれた大切な道具です。登山靴は4つ持っています。それぞれシーズン・利用シーンに合わせて使っています。

道具を自分で直せるものは自分で直したいものです。お金の節約という意味もありますが、その道具の特長が理解できます。理解できると利用面に応用も可能です。万が一、トラブルが起こっても対策が講じれます。つまり「メンテナスができる、ということは、その道具の特長を理解している」ということです。もちろん、登山靴のリソールのようになかなか自分で直せないものありますから、致し方ない側面もあります。

自動車と同じく、早め早めにメンテナンスをすることで道具のことを理解し、十二分に準備をして山に入りたいと思います。

東京・高尾山(ボッカトレーニング)

日時 :2017年04月02日
目的 :高尾山トレーニング
山行 :ボッカの高速化歩行トレーニング
メンバ:中辻(ソロ)

 
高尾山の麓に住んでいるおかげで、ちょっと散歩感覚で山に行けます。恵まれていると言われればそうですが、やはり、通勤が遠くなり日々の満員電車はきついものがあります。

高尾山の登山経験はすでに250日を超えています。トレラン訓練・カモシカ訓練・ボッカ訓練・ビバーク訓練など可能です。さすがに、真夏の高尾山は避けて富士山に変えていますが、僕の登山人生の多くは高尾山です。高尾山「トレーニング」という言葉を使っていますが、本当は、何か口実をつけて高尾山に入っているだけです。

別に海外に登りたいとか、他人と比較するとか、そんなことに興味がなく、そうかんがえると、ある意味、モチベーションの低い登山者かもしれません。

晩秋になると草も枯れ、適当な尾根をぶらぶらできるようになります。最悪のことを考えて、ロープを持っていれば懸垂下降ができます。あと2か月程で時期であるキイチゴが沢山生えている密かな場所を知っています(食べないので取りません)。逆に、沢の横を通って尾根に攀じ登ることも可能です。普通の登山道にいた人が、草木が揺れて僕が急に出てきたので動物と間違わられたこともあります。

ただ、何か怪我でもしたりすると、誰も見つけてくれないので怖いこともあります。

最近、川沿いから尾根にでるところで、コケの覆われた岩をみつけて、ボルダ―できないか施策中です。御岳ボルダ―とか、人が多いと競争しているように思えて自然と遊んでいる感覚がなくなるのです。でも、普通にある岩に「この岩、登れるかな」と思うところから関われた方が自然らしいような気がします。

今回は普通の登山道でしたが、山を汚さないように注意しながら、お地蔵さんにも挨拶して怒られないように、楽しく気持ちを整えたいと思います。

北アルプス・爺ヶ岳・東尾根(雪山登山)

日時 :2017年03月18日-19日
目的 :雪山登山
山行 :北アルプス・爺ヶ岳・東尾根
メンバ:中辻(ソロ)
ルート:
18日 鹿島山荘(6:00)-P3(10:30)泊
19日 P3(9:00)-爺ヶ岳(12:00)-P3(13:40)-撤収(14:50)-鹿島山荘(17:15)
北アルプス・爺ヶ岳・東尾根に行ってきました。
三連休出発前の天気予報は良いはずだったのですが、基本信用せず、自分で分析をして入山しました。この時期の天気予報は当てにならないですし、高気圧の勢力がイマイチ優柔不断だなと思い、よく空を眺めながら山登りをしました。最近スマホのおかげで最新の天気図は入手できますが、それでも現地での観天望気に勝るものはないと思っています。

18日6:00に出発して、オババの碑から急登でゆっくり登りました。1470m付近で尾根に出て、1700m付近でジャンクションピークに出来ます。雪がちょうどよく非常に歩きやすかったです。本来ラッセル覚悟で入山した私には少し呆気ないアプローチになりました。これを雪山だと思うと非常に危険だと思い戒めながら進みました。

18日は一見天気が良さそうに思えましたが、10時頃から穂高方面の山に雲が掛り、空を観ると「巻層雲」が現れました。高層の雲なのでちょうど太陽がボンヤリする薄い雲です。これは近くに低圧部及び気圧の谷がある可能性が高く、その低圧部の進路によっては大荒れになる可能性があります。よって、いつでも撤退できるようにP3(2000m付近)でテントを張り、防風対策をしっかりして準備しておきました。

予想通り、夜8時頃から風が強くなりました。翌朝8時頃まで強い風が続き、ようやくおさまって最新の天気図を観ると8時間程度は大きく荒れることはないと判断して爺ヶ岳に向かいました。この東尾根は「核心部分が総合的にまとまっているのが特徴」です。ナイフリッジ・ラッセル・雪崩判断等P3から続く短いルートでいろいろ経験ができます。風は強いのですが、気温が高いためそれほど寒さを感じません。雪が鳴らないので湿度が高いのでしょう、ですから、天候の変化は心配でした。雪庇を乗り越え、稜線に出てから少しばかりラッセルがありましたが、何人かいましたので大分トレースがありましたので楽でした。しかし、少し歩くスピードも遅れました。

登頂後、いっきに同じルートを降りて、テントを撤収して、下山しました。下山時には天候が悪くなっていました。

感想:
全体的に少し疲れた感はありますが、よく楽しめました。どこのチームも女性が多くびっくりで、しかも、私を平気で抜かしていき元気いっぱいの方が増えています。二人組の女性は途中(1500m)で車のライトが点いていると言われて、引き返して、また戻ってくるという体力にびっくりしました。僕なら、自宅に帰ります(笑)。そんなコミュニケーションを取りながら、楽しい2日でした。たぶん。雪等の条件は良かったのでしょう、思っている以上に歩きやすかったので、この経験は少し慎重になっておく必要があると思います。
帰りは大町温泉の薬師に行って帰ってきました。
反省点:
どうも標高2300m位から非常に歩行が辛くなりました。最近アイスばかりしていてたので体力不足です。なかなかクライミングばかりしていると心肺機能が落ち、山歩きばかりしていると登攀能力が落ち、と難しい側面があります。

良かった点:
天気判断は自分では非常に良かったと思っています。

八ヶ岳・南沢・小滝2(アイスクライミング)

日時:2017年03月11日
目的:アイスクライミング(研究課題検証)
山行:八ヶ岳・南沢・小滝
:中辻(ソロ)

再度、八ヶ岳・南沢・小滝にアイスクライミング行ってきました。02/26日前回の課題事項であったソロでのロープ繰り出しの実証実験の為、登りやすい小滝へ再度選択しました。天候は良く、小滝まで歩きやすかったです。小滝までの登山道は他の山岳会のメンバーとお話しながら歩いてきました。ソロだと孤独のように思えますが、他のメンバーとの交流しやすいメリットはあると思います。小滝の10時頃までまた貸し切り状態です。

自宅で何度か課題解決方法をトレーニングして、上手く行きそうだと思った方法を幾つか試して小滝で検証してみました。その一つがロープの繰り出しは手で引っ張らなくても自動的に繰り出されました。そして、安全の為アイススクリューのピッチを小さくして、3つまで安全だと思われる範囲で軽く落ちてみました。上手く止まりました。何度か環境を変えて検証してみました。欠点は人間が逆さまで落ちると確保されません。しかし、特殊な道具(ソロイスト等)を使わず、ありきたりの道具で出来るのでなかなか自分では良いかな、と思いました。

その後が、問題でした。検証後、トップロープにして登攀練習をしようと思いました。気温が上がってくると、滝から水が浸み出し、そして、その染みた水がロープを伝って、さらに、外気に触れて凍るという現象があります。長々とロープを垂らしていた為、ロープが完全に氷、アッセンダーが機能しません。これでは登れないので、スクリューで安全確保を取りながら、登り返して、ロープを回収することにしました(左から滝を巻くのは練習にならないので)。

そして、ロープでムンターヒッチ懸垂下降をするとき、バックアップを取ったロープスリングが氷に引っかかり、スタックしてさらに浸み出てきた氷で、プリジックが完全に氷の塊のようになってしまい、男の力でも動きません。仕方がないので、荷重を解除しようと思って仮固定をしようとするが、メインロープもツララのように凍ってしまいできない。万が一のことを考え、残っていたスクリューでセルフビレイをとってから、別の長いスリングをプリジックで巻き、足を掛けて荷重を解除しようとしました。しかし、今度はこの長い脚に掛けたスリングが凍ってしまい、またもや、氷の塊になってしまいました。

どんどん水が浸み出してきたので、これは困るな、と思い、セルフビレイ側に荷重を掛けて、何とかムンターヒッチ+バックアップをハンマーで叩き、何とか解除でき、さらに、残った、長いスリングも叩きならが、解除できました。今後の下降は、ATCに変え、バックアップを取らずに何とか下降しました。完全凍ると、懸垂下降時、手が滑るので怖いものですが、これは何度も経験しているので上手く降りれました。

また、一つ学びました。ビレイヤーがいないと、ロープがそのまま滝に触れ、ながながとぶら下がるので、結構早く凍ってしまうのです。外気温及び滝の状況をもう少し判断する必要がありました。

反省点:
懸垂下降のバックアップを凍ったとき、どうするか、少し考えておく必要があります。
自己脱出用のロープスリングが使えない場合の、自己脱出方法をもう少し体系化しておく必要があります。殆んどの情報が岩場でのトラブルなので、今回のようなアイスでのトラブル解決を事前に考えておく必要があるような気がしました。
これほどロープを水が伝って、あっという間に凍ってしまうということは素直に経験不足です。登れるだけが山登りではないと改めて反省しました。

良かった点:
スクリューを緊急用に一つ確保していたので、今回セルフビレイを取れました。懸垂下降だけではなく、必ず緊急用に持っておく必要があります。

全体的に課題発見ができ、よいトレーニングとなりました。ロープの繰り出し方法については概ね解決できましたが、今度また新しい課題を見つけ、対策を講じておきたいと思います。

その後、少し登りたいなと思い、他の方にお願いしまして少し登らせて頂きました。ありがとうございます。今年のアイスクライミングはこれで終了です。来年に向けて、学びを保存しておきたいと思います。

 

【考察】徳とは何か

登山をしていると、名前がわからないキレイな花を見かけます。誰にも誉められるわけでもないのに、懸命に日々新た、にと。

これを万物の徳と言います。

そして、花を咲かせ種を飛ばすような徳を維持する行動を道と言います。

あわせて、これを道徳と呼びます。

山が教えてくれました。